目次
- 拒食症のはじまりは自己否定と強い痩せ願望
- 過度な食事制限と運動のはじまり
- 痩せに対する絶対的価値観
- 食事が地獄の時間になったとき
- 拒食症になった私と家族の反応
- 食事という行為が分からなくなった日
◆おわりに
拒食症のはじまりは自己否定と強い痩せ願望
拒食症のはじまりは、強い痩せ願望と、強い自己否定から始まりました。
「今よりもっと綺麗にならなければ」「痩せて美しくならなければ」と常に自分に厳しく、美しくない自分には価値がない、無価値な人間だと思い込んでいました。
拒食症は「痩せていなければ無価値」という感情から生まれることが多いです。そして、その感情を育てた環境が摂食障害の原因と考えられます。
拒食症の詳しい症状についてはこちら。
過度な食事制限と運動のはじまり
食事制限がはじまる動機は、単に食べたくないという感情からではなく、強い痩せ願望や太っている自分への否定から始まります。はじめはダイエットのように感じても食事制限は次第にエスカレートし、さらに痩せなくてはならない、という強迫観念に変わっていきます。
最終的には、食べ物を口にすること自体が禁止行為と考えるようになり、カロリーを摂取する行為が許されないんだ、という厳しい自己規制へ変化していきます。食べることに罪悪感を感じ、食欲に対して羞恥心を持つようになり、深刻な食事制限へとつながっていくのです。
痩せること、太らないこと、に対する強迫観念が日々の生活を支配していました。まるで何かの呪いにかかったかのように、ずっと体重を減らす方法ばかりを考え、一日が過ぎていくのです。
高カロリーのメニューやお菓子、家でだらだら過ごす行為など、太るであろう行為はすべて悪になり、最終的には食事そのものが敵となりました。
「食事」という行為が生活から徐々に排除され、厳しい拒食行動を継続して行います。
通常の食事が出来なくなり、「食事」という行為が罪悪感を伴う恐怖の対象に変わってしまいます。
最初は軽い制限から始めても、食事制限は徐々に厳しくなります。腹八分目ダイエット、間食やデザートの制限、そして炭水化物を抜いた食事へと移行していきました。食事制限がエスカレートすると同時に過度な運動もはじまり体重は少しづつ減っていきます。マイナス3kg、マイナス5kg。
それでも「太りたくない」「もっと痩せたい」という思いは収まることがありませんでした。
それどころか更にカロリーを厳しく制限し、何をどれだけ食べたか、体重はどれだけかを細かく記録しました。一日に5回は体重計に乗ることは欠かせない日課になっていました。
拒食症のときの食事制限や運動、身体の変化などの実体験はこちらの記事にまとめていますので興味がありましたら読んでみて下さい。
瘦せに対する絶対的価値観
カロリー制限をし始めてからでしょうか。食べる行為がイコール太る行為という考え方に変わってしまいました。体重が減っていても、太りたくない、痩せたいという気持ちは全く納まりません。
むしろどんどん気持ちと行動はエスカレートしていきます。
毎朝起きてから夜眠るまで、少しでも痩せるように一日を過ごしていました。
たとえば友人と遊びに行っても、デートしていても、心のどこかでいつも痩せることを考えてしまいます。常に痩せることへの考えが頭の中にあり、どの時間も集中して楽しめなくなります。
人と会うと食事やお茶をしなくてはいけない事が多いですよね、だから人に会うこと自体が苦痛で嫌になってしまうんです。
「もっと痩せたい、運動が足りなくて太ってしまうかもしれない。もっと痩せておかなきゃ」という思いが、常に頭の中をぐるぐる。身体を動かし続け、カロリーを消費しなければ、イライラが募ります。寝ている時間以外は、ずっと体を動かし続けるのです。寝ても覚めても、痩せへの執着が続きます。
このような行動に、当の本人には異常とは感じられず、理解できていても止められないことが多いのが拒食症の現実です。身体は「痩せること」を求め続け、その執着が感情をも支配しはじめ、心身ともに「痩せること」に追い詰められていくのです。
周囲からは「痩せすぎだよ」「もう少し太った方が可愛いよ」と言われても、その言葉は本人にとって何の意味もなく、むしろ迷惑で苛立ちを感じることさえあります。拒食症の人の「痩せていなければいけない」という絶対的な価値観は、誰が何を言おうと変わることはないのです。
食事が地獄の時間になったとき
食事時間は、私にとってはまさに地獄のような時間となっていました。周囲が食事を楽しんでいるのを見るだけで、不快感を感じるようになりました。
お腹が空くたびに自己嫌悪に陥り、空腹を感じる自分自身が嫌でたまりませんでした。食べ物そのものが私の敵となり、食事行為の全てが不快であるかのように感じました。
特に難しくなったのは外食です。外食では料理の具体的な内容や使われている材料を知ることができないためです。調理されたものに何が含まれているか分からないと、安心して食べることができませんでした。砂糖、油、保存料が含まれている食品は完全に避けるようになり、食事の選択肢はさらに狭まりました。
主に食べていたのは、おから、無調整の豆乳、豆腐、カロリーゼロのゼリーや飲料、そして塩だけを振ったキャベツ、人参、かぼちゃなどの温野菜です。当初はこれらを選んでいましたが、かぼちゃにが含まれていることを知ると、それさえも「食べてはいけない食品」のカテゴリーに加わりました。
食事制限は「食べてはいけない献立」から「食べてはいけない食品」へと変わり、食生活はますます制限されていきました。この拒食症による厳しい自己管理は、精神的にも肉体的にも大きな負担をもたらしますが、これが拒食症患者のリアルな日常です。
拒食症になった私と家族の反応
拒食症がしばらく続くと、空腹感が分からなくなり、不思議なことにお腹が空かなくなります。
常に「空腹感は醜い」という思いを抱えているため、空腹感を意識的に排除してしまうのかと思います。これは明らかに病気が進行している証拠です。
長い間食欲を抑え続け、食事への嫌悪感を強めると、まるでマインドコントロールされたかのように自然にお腹が空かなくなるのです。空腹を感じること自体が不快で、他人に空腹であることを知られるのが恥ずかしく感じるようになるため、誰かと一緒に食事をすることが苦痛になります。
食事してる姿を見られるのが嫌になるんです。
この時期、家族と同居していたため、食事の時間は避けられませんでした。家族は私の偏食を心配し、なるべく油や砂糖を使わない料理を用意してくれていたのですが、私にはそれでさえ食べることができませんでした。ほんの少しの油や砂糖が含まれているだけで、食べることができないのです。
せっかく家族が作ってくれた料理を食べたふりをして、こっそりティッシュにくるんでポケットにしまい、後で自室のゴミ箱に捨てていました。これがいわゆるチューイング行為です。
家族に対する罪悪感と食事に対する嫌悪感でいっぱいでした。
家族は心配してくれましたが、次第にそれも鬱陶しく感じ食事の時間もずらして取るようになりました。
そしてますます拒食症はエスカレートしていきました。
食事という行為が分からなくなった日
体重が40キロを切ったとき、水さえ飲むのが嫌になりました。
鏡を見ると、あばら骨がはっきりと浮き出ているのが見え、自分の姿にショックを受けました。
しかしその時でも、鏡の前に立つことができたのは、ほんの一瞬だけ。痩せた自分へ満足はできませんでした。
これ以上痩せさせてしまてしまっては危険だ、と心のどこかで感じてはいましたが、太ることへの恐怖、せっかく努力して痩せた現状から戻ってしまうかもしれないという恐怖が、それを上回っていました。その結果、拒食行動は変わらず、心と体、さらには私の全ての志向が、健康的な生活から完全に逸脱してしまっていました。
食事とは何かということを忘れてしまうのです。
適量な食事がどのくらいか、何を食べていいのか、食事に関しての当たり前のことが分からなくなっていきました。
ただ痩せることだけが生活の中心となり、痩せることが生きている証明のように暮らしていました。
◆おわりに
拒食症はただ体重を減らす病気ではなく、心と体に深刻なダメージを与える恐ろしい病気です。
私はこの拒食期の後、身体が強く危険信号を出し、強い衝動と共に過食症に移りましたが、人によっては拒食症状態のまま抜け出せずに苦しんでいる方はたくさんいるかと思います。
食事という基本的な生活の一部が、こんなにも苦痛に変わるとは、健康な状態では想像もつかないかもしれません。拒食症はただ体重を減らすだけではなく、心と体に深刻な影響を及ぼす病気なのです。拒食症は命に関わります。
拒食症を抱えると、自分が周りと違う「異常者」のように感じてしまうこともあります。他人からの理解をなかなか得られないことが多いからです。しかし、大切なのは、今の価値観や思考が病気によって影響を受けていると認識することです。これは異常でも何でもなく、ただ病気によって思考が少し歪んでいるだけなのです。
難病の患者が抱える感情や、精神病に苦しむ人が見る世界が病的だとは言えませんよね?
どんな病気であっても、その人の感情や価値観は大切にされるべきです。自分の感情を否定したり抑えつけることは、何よりも避けなければなりません。
摂食障害を持つ多くの人が、日々戦っています。落ち込む気持ちが何度繰り返し訪れても、気持ちを切り替えるスイッチを何度でも押し直すことが大切です。
孤独な気持ちで押しつぶされそうでも、病気に対して負の感情に支配されない日々を送ることが重要です。
食べ物は決して悪ではありませんし、敵でもありません。少しずつですが、食べることをコントロールする力を取り戻していきましょう。
必ずもう一度食事を好きになれる時間、食事を楽しめる時間は来ると思います。